■山・院・寺号 巨福山建長興国禅寺 (寺号は年号からつけられた)
■宗派 臨済宗建長寺派 大本山
■本尊 木造地蔵菩薩坐像
■開基 北条時頼
■開山 大覚禅師(蘭渓道隆らんけいどうりゅう)
■創建 建長5年(1253)
久しぶりの鎌倉巡り。
今日は建長寺。
総門 |
今の総門は、1783年に京都の寺である、般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)で建てられたものを1940年に移築した。総門に掲げられた額の「巨福山」(こふくさん)」という字は「大きな福をもたらす寺」という意味で、中国僧で建長寺第十世である一山一寧禅師(いっさんいちねいぜんじ)が書いたもの。
総門を入り右側で入場料を払い、御朱印は左側で頂きます。
ここで頂けるのは、
ご本尊の地蔵尊、鎌倉三十三観音第28番、鎌倉二十四地蔵9番と10番です。
三門(さんもん)(国重要文化財) |
この門をくぐることによってあらゆる執着心から解き放たれることを意味する。蘭溪道隆(らんけいどうりゅう)の言葉に、「建長寺は、禅をまなぶすべての人に開け放たれている。この境内には人を差別しない清風が、いつも吹いている」とあり、建長寺はあらゆる人々、修行者(しゅぎょうじゃ)に門を開放している事を表している。楼上(門の上部)には、釈迦如来(しゃかにょらい)・十六羅漢(じゅうろくらかん)・五百羅漢(ごひゃくらかん=修行を完成された人)を安置。
この門は1775年に万拙硯誼(ばんせつせきぎ)和尚などの努力によって再建された。創建当初は三門後方左右に大坐禅堂(だいざぜんどう)、大食堂(だいじきどう=話をしたり、音をたててはいけない食堂)があった。
柏槇(びゃくしん) |
仏殿(ぶつでん)(国重要文化財) |
建長寺の本尊・地蔵菩薩(天国から地獄に至るまで、すべての生物を救い、成仏させると誓う菩薩)を安置。北条時頼と蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の、迷いの中から救い悟りを得るという願いが込められている。
現在の建物は、創建当初より4代目のものといわれ、東京の芝の増上寺にあった徳川二代将軍秀忠公(ひでただこう)夫人(お江の方)の霊屋(おたまや=墓)を建長寺が譲り受けた。
現在の建物は、創建当初より4代目のものといわれ、東京の芝の増上寺にあった徳川二代将軍秀忠公(ひでただこう)夫人(お江の方)の霊屋(おたまや=墓)を建長寺が譲り受けた。
本尊 木造地蔵菩薩坐像 |
本尊 地蔵菩薩尊 |
鎌倉二十四地蔵第9番 |
鎌倉二十四地蔵第10番 |
法堂(はっとう)(国重要文化財) |
昔は建長寺全体が修行道場であり、敷地にいる僧侶全員がこの法堂に集まって、住持(=住職)の説法を聞きい。388人の僧侶がいた記録がある。現在は法要・講演・展覧会などに使われており、修行僧は西来庵(せいらいあん)で修行している。
この建物は1814年に建長寺派の寺院により再建されたもの。
関東最大の法堂で、現在は千手観音(=迷いの中から救い悟りを得るために偉大な働きを持つ観音)を本尊としている。
天井画 雲龍図 |
法堂本尊 千手観音菩薩坐像 |
鎌倉三十三観音第28番 |
釈迦苦行橡 |
仏殿と法堂 |
唐門(からもん)(国重要文化財) |
桃山風(ももやまふう)向唐破風(むこうからはふ)という、16世紀後半の日本の屋根の建築様式で作られた、漆塗りの四脚門(よつあしもん=4つの脚がある門)。技巧を凝らした金具が各所に使用され、仏殿の装飾技法とよく似ている。
1628年、東京・芝・増上寺で徳川二代将軍秀忠(ひでただ)夫人(お江の方(おごうのかた))の霊屋(おたまや=墓のお堂)の門として建てられた。その後、1647年、仏殿・西来門(せいらんもん)と共に建長寺に寄附され、方丈(龍王殿)の正門として使用。
2011年、解体修理がほどこされ、輝きをとりもどした。
庭園 |
宝冠釈迦如来坐像 |
妙光院にて、秋の特別御朱印。
鎌倉三十三観音第27番 |
龍峰院にて。
門がピシッと閉まってるので、入っていいのかちょっと迷った。
鎌倉三十三観音第29番 |
ここから半僧坊へ
(半僧坊(はんそうぼう)とは、天狗の姿に似た山の守り神。)
紅葉はまだだねー。
正面にある階段を上る。
248段あるらしいがメッチャ疲れたー。
境内の最奥、勝上ケンにある。建長寺の鎮守で、半僧坊大権現をまつる。
明治23年(1890)建長寺235世霄貫道師が静岡県の奥山方広寺から勧請した。