2024年4月11日木曜日

太宗寺 江戸六地蔵尊


甲州道中江戸六地蔵尊
1712年(正徳二年)造立
267cm

◆山・院・寺号 霞関山太宗寺
◆宗派 浄土宗
◆開山 念誉故心学玄和尚
◆開祖 太宗
◆本尊 阿弥陀如来
◆創建 1596年(慶長元年)







稲荷神社と


良い天気だったので、桜と神社仏閣巡り。


太宗寺 | 一般社団法人新宿観光振興協会 (kanko-shinjuku.jp)




須賀神社


◇創建
◇祭神 須佐之男命(須賀大神)すさのおのみこと
    宇迦能御魂神(稲荷大神)うかのみたまのみこと
 ◇利益 土木建築・悪霊退散・諸難・疫病除け


アニメ『君の名は』の聖地らしい。




階段辺りにいるのは全部外国人っす。
へー、そんなに有名なのか…。








東京四谷総鎮守 須賀神社 | 東京の御祈願 (sugajinjya.or.jp)




真成院(しんじょういん)江戸三十三観音第18番


■山・院・寺号 金鶏山真成院
■宗派 高野山真言宗
■本尊 潮干十一面観世音菩薩
■創建 1598年(慶長三年)


現在の建物は昭和47年に建てられたビルになっていて、この階段を上がり3階に観音堂がある。



狛犬の頭にスズメ。
身体全体に群がってたんだけど、写真を撮ろうとしたらパタパタと飛び立ってしまった。



御朱印は1階受付で頂ける。


金鶏山 真成院―四谷霊廟(新宿の室内霊園・納骨堂)― (shinjoin.jp)




2024年4月2日火曜日

『中尊寺金色堂』 東京国立博物館


気持ちのいい天気だったので、出かけてまいりました。

しかしどうでしょ。
入館するのに並んでますよ。初めてだ。
人、多いからぁ(*_*;


金色堂模型

金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟された。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂である。

金色堂について │ 中尊寺を知る │ 関山 中尊寺[岩手県平泉 天台宗東北大本山] (chusonji.or.jp)


平泉にある中尊寺 金色堂は以前に出かけてる。
あおい 散歩路: 平泉 中尊寺 (aoisnpji.blogspot.com)

そこでは金色堂の中に御座す仏像をよく見ることが出来なかったので、
今回じっくり見られて良かった。




東京国立博物館 - 展示・催し物 展示 本館(日本ギャラリー) 建立900年 特別展「中尊寺金色堂」 (tnm.jp)

博物館で展示されると、ぐるり後ろ側も見れるのでいい。
とても綺麗な仏像でした。




さて、上野公園の桜、咲いてるかな…。
2分咲き位でしょうか。まだこれからですね。



この木は咲いてました。
みんな写真のために集まってます。

2024年3月11日月曜日

渋谷宮益御嶽神社


◇創建 1570年(元亀元年)
◇祭神 日本武尊





ー珍しい日本狼の狛犬ー
延宝年間(江戸時代1673~1681年)の作品と思われる。
原形は損傷が甚だしく社務所内にて安置。
社殿前の日本狼橡狛犬は、ブロンズ製で、原形をモデルに制作。
多田瑞穂作。



表参道から渋谷に出ようと宮益坂を歩いていたところ、
右側に鳥居が見えた。
階段がずずっとあって、上るとかわいらしい神社があった。

狛犬が変わってるよね…。
なるほど日本狼か。

お参りして、御朱印頂いた。




後で調べてみたら、
都市計画により取り壊される予定があるらしい。
渋谷駅近くのいい場所。
開発するために って分かる気もするが、残念な気もする。
失われていくんだな。


宮益御嶽神社 | SHIBUYA MIYAMASU
御嶽神社 (渋谷区) - Wikipedia
渋谷御嶽神社|渋谷区渋谷の神社 (tesshow.jp)




2024年2月1日木曜日

明治神宮

一の鳥居


1月中に出かけたかったのだけど、忙しくて2月になっちまった。
気温は高めだが、お天気は曇りだったわね、ザンネン。


南参道

大鳥居(二の鳥居)

三の鳥居

南神門

拝殿


2023年11月21日火曜日

建長寺 鎌倉五山第一位


■山・院・寺号 巨福山建長興国禅寺 (寺号は年号からつけられた)
■宗派 臨済宗建長寺派 大本山
■本尊 木造地蔵菩薩坐像
■開基 北条時頼
■開山 大覚禅師(蘭渓道隆らんけいどうりゅう)
■創建 建長5年(1253)


久しぶりの鎌倉巡り。
今日は建長寺。




総門
今の総門は、1783年に京都の寺である、般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)で建てられたものを1940年に移築した。総門に掲げられた額の「巨福山」(こふくさん)」という字は「大きな福をもたらす寺」という意味で、中国僧で建長寺第十世である一山一寧禅師(いっさんいちねいぜんじ)が書いたもの。


総門を入り右側で入場料を払い、御朱印は左側で頂きます。
ここで頂けるのは、
ご本尊の地蔵尊、鎌倉三十三観音第28番、鎌倉二十四地蔵9番と10番です。


三門(さんもん)(国重要文化財)
この門をくぐることによってあらゆる執着心から解き放たれることを意味する。蘭溪道隆(らんけいどうりゅう)の言葉に、「建長寺は、禅をまなぶすべての人に開け放たれている。この境内には人を差別しない清風が、いつも吹いている」とあり、建長寺はあらゆる人々、修行者(しゅぎょうじゃ)に門を開放している事を表している。楼上(門の上部)には、釈迦如来(しゃかにょらい)・十六羅漢(じゅうろくらかん)・五百羅漢(ごひゃくらかん=修行を完成された人)を安置。
この門は1775年に万拙硯誼(ばんせつせきぎ)和尚などの努力によって再建された。創建当初は三門後方左右に大坐禅堂(だいざぜんどう)、大食堂(だいじきどう=話をしたり、音をたててはいけない食堂)があった。


柏槇(びゃくしん)
蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が植え、樹齢760年。


仏殿(ぶつでん)(国重要文化財)
建長寺の本尊・地蔵菩薩(天国から地獄に至るまで、すべての生物を救い、成仏させると誓う菩薩)を安置。北条時頼と蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の、迷いの中から救い悟りを得るという願いが込められている。
現在の建物は、創建当初より4代目のものといわれ、東京の芝の増上寺にあった徳川二代将軍秀忠公(ひでただこう)夫人(お江の方)の霊屋(おたまや=墓)を建長寺が譲り受けた。



本尊 木造地蔵菩薩坐像

本尊 地蔵菩薩尊


鎌倉二十四地蔵第9番


鎌倉二十四地蔵第10番


法堂(はっとう)(国重要文化財)
昔は建長寺全体が修行道場であり、敷地にいる僧侶全員がこの法堂に集まって、住持(=住職)の説法を聞きい。388人の僧侶がいた記録がある。現在は法要・講演・展覧会などに使われており、修行僧は西来庵(せいらいあん)で修行している。
この建物は1814年に建長寺派の寺院により再建されたもの。
関東最大の法堂で、現在は千手観音(=迷いの中から救い悟りを得るために偉大な働きを持つ観音)を本尊としている。


天井画 雲龍図
建長寺の創建750年を記念して、小泉淳作(こいずみじゅんさく)画伯によって描かれた。


法堂本尊 千手観音菩薩坐像

鎌倉三十三観音第28番


釈迦苦行橡


仏殿と法堂


唐門(からもん)(国重要文化財)
桃山風(ももやまふう)向唐破風(むこうからはふ)という、16世紀後半の日本の屋根の建築様式で作られた、漆塗りの四脚門(よつあしもん=4つの脚がある門)。技巧を凝らした金具が各所に使用され、仏殿の装飾技法とよく似ている。
1628年、東京・芝・増上寺で徳川二代将軍秀忠(ひでただ)夫人(お江の方(おごうのかた))の霊屋(おたまや=墓のお堂)の門として建てられた。その後、1647年、仏殿・西来門(せいらんもん)と共に建長寺に寄附され、方丈(龍王殿)の正門として使用。
2011年、解体修理がほどこされ、輝きをとりもどした。


庭園


宝冠釈迦如来坐像


妙光院にて、秋の特別御朱印。
鎌倉三十三観音第27番


龍峰院にて。
門がピシッと閉まってるので、入っていいのかちょっと迷った。
鎌倉三十三観音第29番


ここから半僧坊へ
(半僧坊(はんそうぼう)とは、天狗の姿に似た山の守り神。)

紅葉はまだだねー。




正面にある階段を上る。
248段あるらしいがメッチャ疲れたー。


境内の最奥、勝上ケンにある。建長寺の鎮守で、半僧坊大権現をまつる。
明治23年(1890)建長寺235世霄貫道師が静岡県の奥山方広寺から勧請した。



半僧権現


鎌倉二十四地蔵尊第11番


紅葉はまだなってなくてちょっと残念だったけど、
鎌倉には早く行きたいー と思ってたので、良かった。


北鎌倉 鎌倉五山第一位「臨済宗建長寺派 大本山 建長寺」|巨福山 建長寺 (kenchoji.com)