2018年10月27日土曜日

平泉 毛越寺

毛越寺庭園の象徴とされる 地中立石

■山・院・寺号 医王山 毛越寺
■宗派 天台宗
■本尊 薬師如来
■開山 慈覚大師円仁
■創建 嘉祥三年(850)

『毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。毛越寺HPより』

 



お昼のお蕎麦を食べた後、再び「るんるん」バスに乗って毛越寺に来ました。
雨はすっかり止みましたね。



こちらで拝観券(500円)を購入して入ります。



本堂
平成元年建立。
本尊薬師如来と脇士日光・月光両菩薩が安置されている。



左の建物から本堂内に入ることができます。
中にはお坊さんがいて、お願いすると、いろいろ説明してくれるようです。


お参りを済ませて戻り、
本堂の右に向かい、大泉が池に出ます。






築山
海岸に迫る岩石を表現している。






開山堂花菖蒲園
毛越寺のあやめは、昭和28年(1953年)に平泉町民の発案で開山堂前に植えたことがきっかけで、翌年には東京・明治神宮から100種100株を譲り受けます。



開山堂
毛越寺を開いた慈覚大師円仁をまつるお堂。大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像を安置してる。



開山堂より大泉が池を望む。



奥に嘉祥寺跡






本当に紅葉が綺麗で 綺麗で



遣水(やりみず)池に水を引き入れるためと造られたもの。
この遣水を舞台に毎年新緑の頃に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催される。



今回手に入れた御朱印帳は、「 曲水(ごくすい)の宴」が描かれています(^^



紅葉と常行堂



常行堂
享保17年(1732)、仙台藩主伊達吉村公の武運長久を願って再建された。



本尊は宝冠阿弥陀如来、脇士は四菩薩、奥殿に秘仏の摩多羅神(またらじん)をまつる。
摩多羅神は33年に一度開帳される。



こっち側からの常行堂。



もう一度常行堂と鐘楼。



州浜
砂洲と入江が柔らかい曲線を描き、美しい海岸線を表している。
ちょっと日も差してきましたよ(^^



毛越寺、来る前は 跡地なんだよねぇ… といまひとつのテンションだったけど、
いやいや 実際見て歩くということは、こんなにも感覚が違うものかと実感。
曇りにもかかわらず、紅葉も見事で、
足元はちょっとドロドロだったけど、来て良かった と思った庭園でした。



毛越寺HP
岩手県西磐井郡平泉町平泉大沢58
・JR東北本線「平泉駅」 るんるんバス乗車3分



2018年10月10日水曜日

芝東照宮


◆創建 
◆祭神 徳川家康公
◆利益 












芝東照宮 (shibatoshogu.com)

芝大神宮 東京十社

拝殿

◆創建 平安時代、寛弘二年(1005年)一条天皇の御代に創建された
◆祭神 天照大御神(内宮)、豊受大神(外宮)
◆利益


狛犬

鳥居








芝大神宮 (shibadaijingu.com)

増上寺 江戸三十三観音第21番


徳川家の菩提寺であり、関東における浄土宗の本寺。  でかいゾ。

■山・院・寺号 三縁山 広度院 増上寺
■宗派 浄土宗
■本尊 阿弥陀如来 黒本尊 西向聖観世音
■開基 酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人
■創建 明徳4年(1393)

『-ザックリ-
天正18年(1590)、徳川家康が江戸城を本拠とすると、城に近接する増上寺は菩提寺となって急激に発展した。
家康の社会的地位の向上に伴い増上寺の地位も向上し、浄土宗総本山知恩院と肩を並べるようになる。

17世紀中頃は、広大な寺有地に120以上の堂宇、100軒を越える学寮が並ぶとても大きな寺だった。
当時は、3000人以上の学僧のお念仏が、全山に鳴り響いていたと言われている。

明暦の大火(1657)により増上寺延焼、この後も江戸時代中に4度の火災にあう。
昭和20年(1945)、空襲により堂宇の大半焼失。
昭和49年(1974)、大殿が落慶。
平成12年(2000)、光摂殿新築完成。』


大門
大門駅を出るとこちら、大門があります。



山門(三解脱門)
人物と比較、
いやぁ 立派だなぁ~

この門をくぐると三つの煩悩(貪り・怒り・愚かさ)から解脱できるんですって。 解脱したいっス。
元和8年(1622)再建。

上層内部には、釈迦三尊像、十六羅漢像が安置される。



門をくぐって右手に鐘楼堂



大殿(本堂)
中に入ると中央に阿弥陀如来坐像(室町期造立)、両脇壇に法然上人像と中国の高祖善導大師像を安置。
昭和49年(1974)再建。






本尊 阿弥陀如来御朱印



大殿から振り返りの山門。



安国殿
大殿の右にある。
『「安国殿」の名称は徳川家康公之法号である「安国院殿徳蓮社崇譽道和大居士(あんこくいんでんとくれんじゃすうよどうわだいこじ)」に由来。元和三年(1617)、東照大権現尊像を祀る家康公の御霊屋として建立された。

昭和40年(1974)、現在地に家康公の念持仏「黒本尊阿弥陀如来」を安置し、堂名を「安国殿」とする。
平成23年(2011)、堂宇の老朽化により再建された。』 



黒本尊の御朱印
像の金泥が黒色に変じたことからこう呼ばれる。



西向聖観音
『札所本尊は西を向いてることから「西向観音」と呼ばれ、西向観音堂に祀られえおり、鎌倉時代、執権北条時頼が観音山に辻堂を建立し、石造の観音像を祀ったことに始まると伝えられている。』



江戸三十三観音第21番 御朱印



子育て地蔵尊



徳川将軍家墓所
『昭和33年から学術調査が行われ、のち荼毘に付されて現在地に改葬された。
2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂が埋葬されている。』


鋳抜門
『6代家宣(文昭院)霊廟の中門を移築したもの。葵紋を配し、両脇に青銅製の昇り龍・下り龍が鋳抜かれている。』


台徳院霊廟惣門
『寛永9年(1632)、2代秀忠(台徳院)霊廟の正門として3代家光が建立。戦災を免れた。重文。』


戦災以前、奥に見える勅額門から本殿、奥院と続いていた。






増上寺HP
東京都港区芝公園4-7-35
・大江戸線「大門駅」徒歩5分